2023年10月から放送されるNHKドラマ10『大奥』シーズン2。
登場する徳川治済(はるさだ)は作中最大の悪女でありサイコパスとして描かれます。
よしながふみ原作『大奥』にて治済の欠落した人間性とあまりの所業に背筋を凍らせた読者も多かったとか。
私もその読者のひとりであり、戦慄が走ったのを覚えています。
サイコパス治済の最後にも注目が集まり、様々な感想が飛び交いました。
今回は「大奥(よしながふみ)のサイコパス治済の最後とは?人間性と実在した人物」についてお送りいたします。
大奥(よしながふみ)のサイコパス治済の最後とは?
『大奥』12巻読了。
— “陰気”の弐酸化マンガ(否定能力『UNNATURAL-不自然-』) (@manga_dioxide) February 17, 2023
家斉と御台の愛にシンミリし、治済に「○ね」って思いながら読んでたらこの展開!!
伏線も回収してめっちゃくちゃ面白い!!
いやーまさかこういう作品とはなあ、予想外すぎた。
御台と志賀が凄い……その後の国を救う為政者としての苛烈さを最期まで全うした家斉も良かった。 pic.twitter.com/3RVxUy2Ta9
よしながふみ『大奥』治済の最後は大きく2つの段階で展開されます。
- 家斉が母の呪縛から逃れるために治済失脚を計画
- 茂姫と側室たちとお志賀により再起不能に
それでは順番に説明していきます。
治済の最後①家斉が母の呪縛から逃れるため治済失脚を計画
家斉は治済の権力を削ぐには治済が頓挫させた赤面疱瘡の治療再開が必要と考えます。
そのために黒木をはじめ当時の関係者を内密に大奥に呼び戻します。
家斉は母を生かしたまま失脚させる道を模索するのですね。
一方、大奥の女性たちは違う道を選択することになります。
治済の最後②茂姫と側室たちとお志賀により再起不能に
家斉の正室:茂姫をはじめ、治済に恨みを持つ女性たちは治済を身体的に再起不能に追い込みます。
その計画はまさに命がけでした。
計画は見事成功しますが、その代償は夫婦関係の亀裂という大きなものでした。
それでも恨みを晴らすことを望んだのは、治済のサイコパスっぷりがおぞましかったからです。
よしながふみ『大奥』治済のサイコパスな人間性とは?
『大奥』11巻。徳川治済のサイコパスぶりが怖い((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル pic.twitter.com/mRltqGrWsN
— 伊藤絵美 (@emiemi14) July 17, 2021
よしながふみ『大奥』治済のサイコパスな人間性は大きく4つのエピソードで理解できます。
いずれも人の心があるとは思えない所業でゾッとするものでした。
サイコパス治済①赤面疱瘡の治療を頓挫させるべく青沼と平賀源内を消す
治済は実権を握ることを見据えて赤面疱瘡の治療を中断に追い込むタイミングを狙っていました。
そのタイミングとは、息子の家斉が赤面疱瘡の免疫を獲得できた時です。
自分たちの政敵を無くすため、青沼と平賀源内を消す工作をします。
サイコパス治済②息子の家斉を操り実質的な最高権力者に
赤面疱瘡の治療の頓挫に成功した治済は、家斉を言いなりにさせて実質的な最高権力者に登りつめます。
家斉が政治に口を出そうとすればコテンパンに論破し、息子を委縮させていきます。
その時の治済の顔があまりに不気味で、読者を戦慄させました。
サイコパス治済③気まぐれで身内を手にかける
大奥新刊、相変わらず面白かった。
— ぐやま (@TripSan) September 12, 2014
徳川治済のサイコっぷりが溜まらないのでWikipedia先生で調べてみたけど、あんまり記述が無かった。
本当に暗殺で権力を手にした人なのかな。 pic.twitter.com/4kxiAvrpoR
よしながふみ『大奥』の治済は退屈しのぎに身内を手をかけるほど残忍な性格を持っています。
人と思えない残忍なことを穏やかな表情のまま語る治済は、まさにサイコパス。
この『気まぐれ』は実の孫にまで及び、茂姫らの深い恨みを買うことになるのです。
サイコパス治済④最後は息子の家斉をも手にかけようと思案
大奥の月光院様(右京)の母親による性的虐待エピソード描かれなかったけど、家慶の家定(祥子様)に対する虐待は絶対描いてほしい... あと治済はヒェッってさせてほしい。台詞改変付け足し多いけど「殺そう」だけは譲りたくない。 pic.twitter.com/VPwYnHHE9B
— 73 (@Be11aN0tte) March 1, 2023
家斉が自身の失脚を目論んでいることを嗅ぎつけた治済は、ついに息子を手にかけようとします。
権力維持のためにここまで堕ちるとは手の施しようがないですね。
残忍なことを穏やかな顔のまま成してきた治済が、ここで初めて怒りの表情を見せます。
このシーンはよしながふみ原作『大奥』において最も印象深いものとなりました。
実在した徳川治済について
文政10年2月20日、現行暦換算で1827年3月17日は
— 【 group方 】真田紐幸【 topos方 】 (@EsemShibaristJr) March 17, 2017
徳川治済(一橋家第2代)が死んだ日(数え77)。。 pic.twitter.com/s87DARHA55
徳川治済は史実でも徳川吉宗の孫にあたり、一橋家の出身でした。
一橋家の家督継承の段階ですでに兄たちが他家の養子になっており、四男の治済が継ぐことになります。
ゆえに、将軍家の後継ぎがいない状況に自身が頂点に立つ可能性を考えていたと思われます。
将軍の父として絶大な権力を得る
10代将軍:家治の時代、ついに後継ぎ問題が浮上します。
幕閣たちも含めた話し合いにより白羽の矢が立ったのが、治済の息子である家斉です。
理由は当時の徳川家全体の男子の年齢(後継ぎ誕生など)と序列を考えてのことでした。
家治の養子となり11代将軍に即位した家斉は8歳。
実父の治済は「将軍の父」としての絶大な権力を得ました。
ところがあくまでも「将軍である息子の家臣」という自身の立場に不満を持ち始めます。
『大御所』の名にこだわり松平定信を失脚させる
よしながふみ『大奥』でも描かれたように、治済は自身を「大御所」と呼ぶよう幕閣たちに迫ります。
治済は名誉欲と権力欲の権化といえますね。
かつての吉宗のような立場に憧れがあったのでしょう。
それに反対したのが老中、松平定信(まつだいらさだのぶ)です。
理由は「"大御所"は一度でも将軍になった人物こそが名乗れる称号だから」で、断固として反対したようです。
松平定信は天皇家で似た事があった際も同じ主張をしていたゆえ、発言を曲げるわけにはいかなかったのでしょう。
結局は治済と家斉から疎まれ、失脚することになりました。
享年77歳まで生きた
徳川治済は77歳まで生きました。
つまり長い年月の間、息子を懐柔しながら政権を動かし続けたのです。
臨終の際まで贅を尽くした生活を送ったとされています。
よしながふみ『大奥』の治済のサイコパスぶりは、以上の史実もヒントに構築されたのでしょうね。
まとめ
今回は「大奥(よしながふみ)のサイコパス治済の最後とは?人間性と実在した人物」について解説しました。
治定の最後は以下の2段階で展開されましたね。
- 家斉が母の呪縛から逃れるために治済失脚を計画
- 茂姫と側室たちとお志賀により再起不能に
よしながふみ原作11巻と12巻の発行後にも話題になった徳川治済のサイコパスな人間性も理解できたかと思います。
実在した治済が息子を操り、長い人生ずっと栄華を極めたこともキャラクター設定に反映されているのでしょう。
NHKドラマ10『大奥』シーズン2で最大のヒール役となる徳川治済。
どのように実写化されるのか注目が集まること間違いなしです。